最強の冤罪事件、八海事件
①事件発生
1951年1月24日深夜
山口県熊毛郡麻郷村八海で瓦製造業を営む夫婦(ともに当時64歳)が殺害され金銭が奪われる事件が発生した。
夫は寝室の中で顔や全身を刃物でメッタ斬りにされ、胸を鈍器で殴られて殺害され、妻は首を吊った状態で発見された。
警察はころを首吊り自殺に工作をした殺人だと見破りった。
警察の捜査の結果、窃盗の前科があって金に困っており、被害者夫婦とも面識があった経木製造業の吉岡晃を逮捕した。
吉岡が着ていたジャンパーには被害者夫と同じB型の血液型が付着していたことや、事件後に吉岡がタクシーや遊郭で使った十円札と続き番号の十円札が被害者宅に残されていたこと等の物証が存在した。
吉岡は同日の調べに対し、自分1人で夫婦を殺害し金を奪い、さらに犯行を夫婦喧嘩に見せかけるために現場を偽装したと供述、単独での犯行を主張した。
②複数の犯人
しかし、事件は解決しなかった。
現場の状況から複数犯だと考えた警察は吉岡に共犯者の名前を追及するため激しい拷問を行った。
吉岡は共犯者がいれば自分の罪が軽くなると考え、遊び仲間で実際は犯行に加わっていない4人の名前を挙げた。
そのうち2人は窃盗の前科、1人は強盗と窃盗の前科があった。
その後、4人は取調室の密室で拷問を受け犯行を自供した。。。
③判決
1953年9月18日広島高裁は吉岡に無期懲役、他の4人は死刑、懲役15年などの有罪判決を下した。
裁判ではXは自らに関する起訴事実を認めた。
しかし4人は、捜査段階で警察官に拷問され虚偽の供述をさせられたため、自分はこの事件に関していかなる関与もしていない、無実である、と主張した。
4人の公判はもつれにもつれた、ついに、、、
1968年10月25日、最高裁はこの事件を吉岡の単独犯行と判断。
4人に無罪判決を下して、この判決が確定した。
結局3度目の最高裁で4人に無罪判決が下った時はすでに逮捕から17年9か月の月日
が経過していた。
④吉岡晃
1971年(昭和46年)
無期懲役判決を受けて広島刑務所に服役していた吉岡は事件以来20年8ヶ月ぶりに仮出所となった。
吉岡は鉄工所に勤務しながら弁護士の事務所をたびたび訪問し、4人への謝罪行脚も行った。
その後、仮釈放中の吉岡は1976年に広島県で27歳の男性を絞め殺そうとした容疑で逮捕され、殺人未遂罪で起訴されて裁判中の1977年7月11日に49歳で病死した。
警察の先入観捜査と被疑者が犯人で間違いないという頭で取調べを決行してしまったがゆえに二度と戻らない約18年という大切な時間を奪った当時の警察は深く反省するべきであろう。。。
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