おせんころがし殺人事件

①事件発生

1951年1月16日千葉県千葉市の民家で主婦と老婆を殺した容疑で栗田源蔵が逮捕された。事件内容が公表されると全国の警察から類似事件の問い合わせが殺到した。

粘り強い取り調べが続けられた結果下記の罪も犯していた。

 

 

1948年に静岡県の海岸で三角関係のもつれから愛人を絞殺したこと、

 

1951年に栃木県の民家で女性を強姦し絞殺したこと

 

その2か月後に10月10日には国鉄上総興津駅において行商に出たまま行方不明になった夫を探すために偶々同駅に降り立った母子4名を誘い出した。

日付が変わった翌日の深夜に長男と長女を断崖絶壁の「おせんころがし」にて投げ落とした挙句、主婦を強姦して背中に背負っていた次女ごと投げ落とした。

被害者達は崖の途中に止まっていたが、栗田は被害者達を石で殴打し殺害した。

長女だけは隠れていたため奇跡的に生き延びることができた。

 

そして1952年1月13日、千葉県千葉群検見側(現在の千葉市花見川区)で主婦と叔母が殺され、主婦は屍姦された。

この事件の捜査の際に指紋が検出され、これによって栗田源蔵が割り出されて逮捕された。

 

 

②判決

1952年1月13日の事件で千葉地裁で1952年8月13日、死刑の判決が下された。

1953年12月21日には宇都宮地裁で他の件に関して死刑の判決が下された。

一審で2回の死刑判決を受けた初の例である。

その後、控訴は取り下げ、宮城刑務所仙台拘置支所に押送された。判決後の栗田は衰弱がひどく、再審を繰り返した

 

1959年10月14日に宮城刑務所において、栗田の死刑が執行された。

 

 

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