鈴ヶ森おはる殺し事件

①事件発生

 

1915年4月29日夜、品川区大森の鈴ヶ森で砂風呂屋の娘おはるが旅館と隣接する鬼子母神堂の敷地内で他殺体となって発見された。直接の死因は窒息死だが、死後に鋭利な刃物で目と喉頭をえぐられており陰部に5か所の傷があったため痴情のもつれによるものとみられた。

 

②逮捕

まもなく、おはるさんの愛人であったK(当時36歳)が逮捕された。Kは妻子がありながら、2・3年前から被害者との関係を続けていたが、最近になって被害者の側から別れ話を切り出され、悶着の末、40円の手切れ金を取って別れていた。

しかしまだ未練が残っており、折を見てよりを戻そうと考えていた。

捜査員の厳しい追及に耐えかねて、5月30日になって、Kは犯行を認めた。自白によると、事件当日は、友人と浅草で酒を飲んだのち、ふと思い立って砂風呂旅館に被害者を訪ね、一杯飲みながら連れ出して言い寄った。しかし被害者が拒んだことから喧嘩となり、暴れて騒ぐおはるを黙らせようと後ろから抱きついて左手を首にかけて右手で口を抑えていたところ、死んでしまっていた。殺すつもりではなかったため驚いたが、復縁の見込みがないならいっそ殺してしまおうと考え、持っていたナイフで遺体を損壊したうえで、ナイフは海に捨てて逃げ帰ったおはるの遺体を海に遺棄しようとするが、重くて鬼子母神堂の敷地内までしか運べず、そこで陰部などを突き刺して恨みを晴らして逃げた、というものであった

 

 

③真犯人

公判が続くなか別件で逮捕されていた石井藤吉がおはるさん殺しを告白した。

鈴ヶ森おはる事件も自分がやったと言い出したことで、様相は一変した。

 石井の自白によると、盗みに入る家を物色しながら横浜から東京に向けて歩いている途中、午後9時ごろに鈴ヶ森を通りがかり、掛け茶屋の床机に腰掛けて一休みしているところに、目の前を女が一人で通り過ぎた。

彼女こそおはるであった。

周囲に人通りもなかったことから、石井は強姦しようと襲いかかったものの、被害者に騒がれたことから絞殺した。懐の財布から現金を奪って草むらに捨てたのち、痴情のもつれで殺人が起こったように見せかけるため、陰部など刃物で突き刺した、というものであった。

 

石井の供述した草むらから女物の財布を発見した。

これを家人に見せたところ、風雨のために色が褪せているが、材質や型は被害者の常用品と合致するとの証言が得られた。これを受けてKは釈放され、石井が真犯人として起訴された。

 

石井は

「鈴ヶ森事件の犯人が逮捕され、いずれ死刑になることを知った。私が黙っていれば無罪の人間が死刑となってしまっては可哀想だ。数え切れないほどの罪を犯してきたが良心はある」

と述べた。

手口が同一で凶器のナイフが一致したため石井は起訴された。

同一の事件で別々の犯人2人が起訴されるのは前代未聞だった。

 

 

④裁判の判決

石井の自白に信用性がないとしておはるさん殺害では無罪が下った。

これに対して、検事側が直ちに控訴したのは当然のことであったが、被告石井も有罪を主張して控訴したことから、大いに話題となった

1918年3月30日、東京起訴院は石井を真犯人として認め死刑判決を言い渡した。

 

同年8月17日にて死刑執行

 

その1ヶ月半後、Kさんに無罪判決が下った。